No.99_不器用の一心

今回は妙な表題で、なんだろー?と思われた方も多いと思います。

本題の前に前置きですが、僕のやっている焙煎という仕事...これは紛れもなく【職人】の世界に足を踏み込んだと思っています。【職人】...こう聞いて皆さんは、どんな印象を持ちますか? 僕は【職人道】とも捉えられるこの言葉=そう言う域に何か崇高な思いを寄せています。とは言え、それが真にどんなものか、現在は知り得ていない、未知の世界でもあります。そこに少しでも触れてみたい、少しでも足掛かりを得たいと思って、この店を始める前辺りから、そして今も、色々な分野で【職人道】を貫いておられる先人たちの本を読んだり、映像を見たりしています。

その中でも取り分け興味を持ったのが、宮大工の西岡常一(1908-1995)さんとその唯一の内弟子、小川三夫(1947-)さんのお話です。

お二人の著した若しくは題材とされた本は既に相当数読みました。また、今の時代YouTubeを通して、ご当人達のお話がいつでも聞けるのですから、ありがたいものです。

西岡常一さんは祖父、父と三代に亘って法隆寺専属の宮大工を務められた方で法隆寺の昭和の大改修(1934-1985)、後年薬師寺伽藍復元工事(金堂、西塔他再建)に棟梁として従事された方です。

そして小川三夫さんは、高校の修学旅行で法隆寺を訪れた際、それが1300年前に出来たものだと聞き衝撃を受け、その時代にどうやってこの様なものが造られたのだろう?この様な仕事がしたい!と西岡さんを訪ね弟子入り志願。何度も断られたのち、4年の歳月を経て、弟子入りが認められ、西岡さんと薬師寺伽藍他の仕事を共にしてきた方です。そして10年の後にご自身で起業され、その後数々の寺社建築を通して後進の若者を育て上げてきた方です。

そしてお二人の言葉はとても示唆に富んでいます。その中でも僕が特に気に入っている(こう在りたいと感じた)『不器用の一心』に関わるくだりを以下ご紹介させて頂きます。

『器用は損だ。手先の器用な子は頭も器用や。要領良くやって褒められる仕事もあるだろうが、ウチらのように一つ一つを確実に積み重ねていく仕事にはそういうものは要らないんだ。器用な人は器用に覚えやすい。ある段階までは、速いスピードで行ってしまうから、油断というか仕事を甘く見てしまうんだな。修行時代の器用なんていうのはたかが知れたものや。器用ではこなせない仕事がたくさんある。そういう子らは何をさせても一通りは出来るが、ずば抜けたものが無いな。

思いを込めた仕事となったら器用な子には難しいんだ。器用な子は耐えることが不得意なんだな。自分は出来るし、出来ると思ってるから器用にその方法を見つけ、これでイイと言う線を選んでしまう。だからどうしても耐えて耐えて、もっと深いところまで行くということが出来ないんだな。ウチでは不器用の一心がイイな。根が不器用やから嘘をつかないし、仕事もそうや。こういう子は多少でも満足できるものを求めて、根気よく努力するからな。西岡棟梁の言葉、『不器用の一心に勝る名人はない。』手や体に記憶させた事は、そう簡単には忘れん。時間をかけて覚える事は何も悪いことではない。斧を研いで針にする。それでいいんや。』

僕もこの『不器用の一心』を常に心に刻み、今年も毎日、毎日、焙煎に取り組んで行きたいと思っています。

 

いろどりこーひーは珈琲豆を通して、皆様の心豊かな生活に彩りをお届けします。

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